滋賀医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座の歴史
国立滋賀医科大学は昭和49年10月に守山市の仮校舎に開学し、昭和50年5月に、大津市と草津市の南にある広大な丘陵地帯に大学と附属病院が完成した。昭和53年4月には耳鼻咽喉科学講座が開設され、京都大学から北原正章教授、齋藤春雄助教授、矢沢代四郎、松原秀春が着任し、同年10月にA病棟(320床)が開院した。開院時には北嶋和智講師、竹田泰三、北野仁が加わった7人体制で診療が開始された。その後、B, C病棟が完成して608床となり、昭和55年に北野真由美、北野博也が入局し、昭和56年には滋賀医科大学第1期卒業生の児玉章、水上千佳司を迎え、以後は滋賀医大の卒業生を中心に若い人材が次々と育つようになった。
平成16年4月には「国立大学法人滋賀医科大学」へ移行し、自立性のある運営が任されるようになった。開学30周年を機に、平成17年には病院再開発が決定され、平成19年に新たなD病棟が完成し、平成24年までにA, B, C病棟、中央診療棟、手術棟、外来棟の改修が完了した。平成22年からは電子カルテシステムが稼働した。平成29年から臨床研究棟の改修が始まり、令和5年までに一般教養棟、基礎研究棟、動物実験施設など老朽化した大学施設の大規模な改修が行われた。さらに、病院では令和4年から新たな再開発事業が開始され、機能強化棟(E棟)の新設工事が進んでいる。令和6年には開学50周年を迎え、記念事業として学生食堂や中庭などの改修が予定されている。令和3年には講座の名称を、日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会に従って「耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座」へ変更した。
歴代教授
北原正章(昭和53年~平成6年)
北原教授は昭和28年3月に京都大学を卒業後、岩手医科大学助教授を経て、昭和41年から2年間、ルイジアナ州立大学(Irving M Blatt教授)へ留学した。その後、京都大学助教授などを経て、昭和53年4月に滋賀医科大学耳鼻咽喉科学講座初代教授として着任した。北原教授は神経耳科を専門としていたため、耳鼻咽喉科学講座を新たに開設するにあたり、顔面神経・側頭骨外科をSchuknecht教授のもとで学んだ齋藤春雄助教授に、頭頸部外科を一色信彦先生のグループで音声外科・形成外科を学んだ北嶋和智講師に依頼し、助手は竹田泰三、矢沢代四郎、松原秀春で、いずれも京都大学の優秀な人材で固めた。北原教授は、広く耳鼻咽喉科疾患の診療体制を整え、専門とする神経耳科学を教室のテーマとして基礎研究にも精力的に取り組み、多くの耳鼻咽喉科医そして研究者を育成した。昭和56年には「メニエール病の基礎と臨床」のテーマで日耳鼻宿題報告を行った。その後、齋藤助教授は高知医科大学に教授として転任し、竹田講師は助教授として赴任した後、齋藤教授の後を受けて教授に就任した。その結果、教室では北嶋助教授が頭頸部外科を、矢沢講師が側頭骨外科を担当した。
北嶋和智(平成6年~平成13年)
北嶋教授は昭和41年に京都大学を卒業後、昭和48年から2年間のニューヨークのレノックスヒル病院音声研究室留学などを経て、昭和53年の開院時に講師として滋賀医科大学耳鼻咽喉科に着任した。その後助教授を経て、平成6年4月に北原教授の定年退官の後を受けて教授に就任した。講師、助教授そして教授として計23年間にわたって、滋賀医科大学耳鼻咽喉科における、外来・入院診療と手術、学生の指導と後進の育成に努めた。また、専門とする音声外科学を中心に大学院生の研究指導にも尽力し、当教室における臨床・教育・研究体制の確立に多大な貢献をした。直腸癌のため手術・抗がん剤治療を受けながら、平成12年11月には第45回日本音声言語医学会、平成13年3月には第13回日本喉頭科学会を主催し、平成13年10月8日ご逝去された。享年59歳。この間は北嶋先生の真摯で温厚なお人柄に惹かれて入局者も多く、多くの人材が育った。平成13年11月には北野博也講師が鳥取大学に教授として赴任した。
清水猛史(平成16年~現在)
清水教授は昭和58年に三重大学を卒業後、昭和63年から2年7カ月間、ノースカロライナの米国環境衛生科学研究所NIH(Paul Nettesheim教授)に留学した。その後、三重大学附属病院中央手術部の講師、助教授を経て、平成16年2月に滋賀医科大学耳鼻咽喉科に教授として着任した。同年4月に始まった卒後臨床研修の影響で、着任後しばらくは入局者がなかったが、その後は着実に入局者が増えている。嚥下外来や、嗅覚味覚外来、睡眠外来、アレルギー外来など、時代の要望に合わせて新たな専門外来を充実させ、最新の耳科手術や鼻内視鏡手術、頭頸部癌手術の導入・発展に取り組んでいる。専門とする上気道の免疫アレルギー学を教室のテーマとし、着任早々に研究室を改装して研究体制を整え、基礎研究にも精力的に取り組み、多くの耳鼻咽喉科医そして研究者を育成している。
人事
助教授・准教授
齋藤春雄(昭53.4~昭59.7)、北嶋和智(昭59.11~平6.3)、矢沢代四郎(平6.8~平16.3)、大脇成広(平27.3~現在)
講師
北嶋和智(昭53. 10~昭59.10)、竹田泰三(昭56.12~昭61.1)、矢沢代四郎(昭59.11~平6.7)、北野仁(昭61.1~平2.5)、児玉章(平5.6~平8.4)、北野博也(平7.1~平13.11)、鈴木幹男(平11.12~平17.3)、花満雅一(平16.11~平19.1)、大脇成広(平21.5~平27.2)、神前英明(平23.4~現在)、小河孝夫(平27.12~平29.11)、戸嶋一郎(平29.12~現在)
臨床・研究
北原正章教授は神経耳科学を専門とし、体平衡機能の生理と病態の研究に取り組むとともに、メニエール病に対する手術法「内リンパ嚢外側翻転法」を開発し、こうした成果を昭和56年の日耳鼻宿題報告「メニエール病の基礎と臨床」で発表した。昭和61年から5年間は厚生省特定疾患「前庭機能異常」調査研究班班長を務め、その成果を英文モノグラフ「Meniere’s Disease」に著した。また、多数例の精密な臨床的分析をもとに、耳鳴りの体系的治療法を確立し、英文モノグラフ「Tinnitus: Pathophysiology and Management」として昭和63年に刊行した。さらに、独自の防音気圧装置(気圧チェンバー)を作成して、大気圧変化が内耳にもたらす影響を検討し、平成6年「耳と大気圧」を著し、いずれも国際的に高い評価を受けた。昭和56年には第40回日本平衡神経科学会、昭和63年には第50回耳鼻咽喉科臨床学会を主催した。国際的にも、昭和50年のバラニーソサイエティー京都会議の組織委員長を務め、平成2年にはバラニーソサイエティーの京都サテライトミーティングを主催した。平成18年には日本めまい平衡医学会より功労賞を受賞した。
北嶋和智教授は音声外科学を専門とし、病的音声の機能評価法に関する研究を臨床応用し、喉頭疾患の診断や治療効果の判定に利用できる方法を見出した。また、音声の基本周波数調節における声門上下圧差の影響を明らかにするなど、大学院生の研究を指導しながら、一連の音声研究を発展させた。臨床では喉頭癌をはじめとする頭頸部悪性腫瘍、口唇口蓋裂などの奇形、顎顔面外傷の手術などを通して、医局員の育成と地域医療に大きく貢献した。平成10年には第23回日耳鼻医事問題セミナー、平成12年には第45回日本音声言語医学会、平成13年には第13回日本喉頭科学会を主催した。
清水猛史教授は上気道の免疫アレルギー学を専門とし、「上気道炎症の病態とその制御」を研究テーマに、粘液産生と杯細胞化生、気道上皮細胞の再生と分化などの研究で国際的に高い評価を得た。滋賀医科大学着任後は「好酸球性鼻副鼻腔炎の病態解明」を目指して、組織リモデリングの機序、凝固線溶系因子の役割、好酸球と鼻粘膜構成細胞の相互作用、自然免疫の役割、アラキドン酸代謝、などをターゲットにした新たな治療法の開発に取り組んだ。
平成21年には清水志乃が「気道炎症における凝固因子の役割」に関する一連の研究で第16回日本鼻科学会賞を受賞した。平成19年からは神前英明、瀬野悟史、戸嶋一郎が継続してMayo Clinicアレルギー部門(紀太博仁教授)に留学し、上皮由来のサイトカインであるTSLP, IL-25, IL-33など、上気道炎症における自然免疫の研究にかかわり、平成30年から松本晃治が同部門へ留学し、アレルギー性炎症におけるTh2細胞やTfh(濾胞性ヘルパー)T細胞の分化メカニズムを明らかにした。平成29年に神前は「好酸球性鼻副鼻腔炎におけるプロテアーゼの役割に関する研究」で第1回奥田記念財団学術賞を受賞、平成30年には「A mechanism of IL-25 production from airway epithelial cells induced by Japanese cedar pollen」で第25回日本鼻科学会賞、令和3年には「上気道アレルギー疾患のメカニズムとその制御」で第2回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー感染症学会賞を受賞した。戸嶋は好酸球性鼻副鼻腔炎から、アレルギー性鼻炎、木村病へと2型自然リンパ球の研究を発展させ、小河孝夫は嗅覚味覚外来の臨床と嗅覚の基礎研究を発展させ医師主導型の臨床研究を行った。現在は、好酸球性鼻副鼻腔炎の病態解明とともに、、アレルギー性鼻炎における自然免疫の役割、舌下免疫療法の基礎と臨床、COVID-19感染モデルサルを利用した嗅上皮傷害などの研究を発展させ、多くの大学院生を中心に活発な研究活動が行われている。こうした研究成果は、令和5年の第124回日耳鼻総会で臨床講演「上気道炎症とその制御-臨床における疑問に挑む-」として発表し、モノグラフを作成した。
平成22年には第17回マクロライド新作用研究会、平成24年に第30回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会、平成29年に第5回日本耳鼻咽喉科感染症・エアロゾル学会、平成30年に第44回全国身体障害者福祉医療講習会、令和3年には第60回日本鼻科学会を主催し、令和5年に第40回耳鼻咽喉科ニューロサイエンス研究会を主催する予定である。国際学会として、平成29年に第3回Rhinology Research Forum in Asia(3rd RReFA)、令和3年に第20回Asian Research Symposium in Rhinology(20th ARSR)を主催した。令和5年には鼻副鼻腔炎診療の手引き作成委員会委員長として、日本鼻科学会から「鼻副鼻腔炎診療の手引き」を刊行する予定である。
学会・研究会担当
- 第40回日本平衡神経科学会(昭56.11)
- 第50回耳鼻咽喉科臨床学会(昭63.6)
- 第23回日耳鼻医事問題セミナー(平10.6)
- 第45回日本音声言語医学会(平12.11)
- 第13回日本喉頭科学会(平13.3)
- 第17回マクロライド新作用研究会(平22.7)
- 第30回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会(平24.2)
- 第5回日本耳鼻咽喉科感染症・エアロゾル学会(平29.9)
- 第3回Rhinology Research Forum in Asia:3rd RReFA(平29.12)
- 第44回全国身体障害者福祉医療講習会(平30.5)
- 第60回日本鼻科学会(令3.9)
- 第20回Asian Research Symposium in Rhinology:20th ARSR(令3.9)
- 第40回耳鼻咽喉科ニューロサイエンス研究会(令5.8)
教室刊行物
北原教授時代に滋賀医科大学耳鼻咽喉科学教室誌(第1集~第3集)、北嶋教授時代に滋賀医科大学耳鼻咽喉科学教室医局だより(Vol. 1~Vol. 3)、清水教授になってからは、同門会誌「和」(第1号~第8号)を2年に1回刊行している。
日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会滋賀県地方部会の歴史
滋賀県に耳鼻咽喉科専門医が赴任したのは大正の初めで、大正7年に大津赤十字病院に着任した細田忠四郎は、以後40数年間にわたって滋賀県の耳鼻咽喉科医の中心的存在となって活躍した。滋賀県の耳鼻咽喉科医会は細田忠四郎と大西輝彦の2名の発起によって昭和11年6月21日に誕生し、当時の会員数は13名である。同年10月には第10回耳鼻咽喉科臨床会総会ならびに講演会が大津赤十字病院で開催されている。終戦前後の3年間は医会を閉鎖したが、昭和23年3月21日に再編成され、昭和27年6月には第10回近畿耳鼻咽喉科学会が大津市公民館で開催された。
昭和39年、日本耳鼻咽喉科学会が各府県単位に支部を置くことになった。昭和49年にこの支部制度が地方部会と改組されるに伴い、老齢のため辞任した細田忠四郎に代わって、北村保三が日耳鼻滋賀県支部長と医会の会長に、貝塚侊が副会長に就任し、地方部会規則を定めた。翌昭和50年度より、日本耳鼻咽喉科学会滋賀県地方部会、滋賀県耳鼻咽喉科医会として、現在まで地方部会と医会は表裏一体となって活動している。地方部会発足時の会員数は31名である。
昭和49年には守山市の仮校舎に滋賀医科大学が開学し、昭和50年に大津市と草津市の南側に広がる丘陵地帯に大学と附属病院が建設された。昭和53年4月には耳鼻咽喉科学講座が開設され、教授として北原正章、助教授として齋藤春雄、講師として北嶋和智が着任し、10月から診療が開始された。昭和54年4月には北原教授が第2代地方部会長になり、以後は歴代の滋賀医科大学教授が地方部会長に就任している。平成6年には北原教授の定年退官に伴い、北嶋和智が第3代地方部会長に、平成16年には北嶋教授のご逝去に伴い、清水猛史が第4代地方部会長となって現在に至る。
歴代会長
- 初代会長 北村保三(大津市にて開業)昭和50年就任
- 2代会長 北原正章(初代滋賀医科大学耳鼻咽喉科教授)昭和54年就任
- 3代会長 北嶋和智(2代滋賀医科大学耳鼻咽喉科教授)平成6年就任
- 4代会長 清水猛史(3代滋賀医科大学耳鼻咽喉科教授)平成16年就任
運営組織
滋賀県地方部会規則に従い、役員として、部会長1名、副部会長1名、理事若干名、監事2名、顧問を置き、任期は2年である。学会の機能、目的を達成するために次の各委員会を設置し活動している。保険医療委員会、学校保健委員会、医事問題委員会、福祉医療委員会、産業・環境保健委員会、専門医制度委員会の6委員会である。なお、令和5年度の日本耳鼻咽喉科学会代議員は、大脇成広、小澤博史、金地明星、清水猛史である。
日耳鼻滋賀県地方部会開催
日耳鼻滋賀県地方部会総会ならびに学術講演会を年1回(6月)、滋賀県耳鼻咽喉科医会の総会と同時に開催している。また、京都府地方部会との合同学術講演会(日耳鼻京滋合同地方部会)を、京都大学、京都府立医科大学との持ち回りで、年3回(3月、6月、12月)開催している。
会員数(令和年7月現在119名)
昭和11年の医会発足時の会員数が13名、昭和50年の地方部会発足時が31名、昭和54年の滋賀医科大学耳鼻咽喉科学講座開設時が35名であった。その後、昭和56年に滋賀医科大学の最初の卒業生を迎えてから、若い人材が育つようになり、平成6年の北嶋教授就任時には73名、清水教授が着任した平成16年には102名になった。同じ平成16年に開始された卒後臨床研修の影響で、会員数は一旦減少したが、以後は回復・増加傾向にあり、令和5年3月時点の会員数は135名である。
年度 | 会員数 |
---|---|
昭和11年 | 13名 |
昭和50年 | 31名 |
昭和54年 | 35名 |
昭和56年 | 37名 |
昭和58年 | 44名 |
昭和60年 | 49名 |
昭和62年 | 53名 |
平成1年 | 60名 |
平成3年 | 68名 |
平成6年 | 73名 |
平成8年 | 86名 |
平成10年 | 96名 |
平成12年 | 103名 |
平成14年 | 102名 |
平成16年 | 102名 |
平成18年 | 94名 |
平成20年 | 98名 |
平成22年 | 105名 |
平成24年 | 107名 |
平成26年 | 111名 |
平成28年 | 114名 |
発会後の経過・現況
毎年6月に日耳鼻滋賀県地方部会総会ならびに学術講演会・滋賀県耳鼻咽喉科医会総会を開催し、事業ならびに会計に関する協議・報告を行うとともに、会員による一般口演、招聘講師による特別講演を行っている。毎年11月には滋賀県耳鼻咽喉科医会の学術講演会を後援し、2年に1回は補聴器相談医更新のための講習会を開催している。いずれも、新専門医制度における共通講習や耳鼻咽喉科領域講習を交えた学術講演会として、多くの先生が参加している。
資料
1)貝塚侊:滋賀県耳鼻咽喉科の歴史.耳鼻臨床74(増5):2562-2592,1981
2)小澤冨孝:北村保三先生の思い出.滋賀医科大学耳鼻咽喉科学教室誌第3集 123-129,1988